長女がまだ保育園に通っていた昨年、娘はくり返し暴力を受けていました。叩かれたり、押されたり、別の日には強い言葉で傷つけられたりしていました。
最近になって娘が話してくれて知ったのは、暴力を受け始めたのは年中になってからだったということ。それまでは年長になってからだと思っていました。年長になれば保育園のなかでは一番上になるので、自分は偉いすごいと思い込む子どももいるのかもしれないなと思っていたからです。
暴力を受けていると頻繁に話してくれるようになった最初のころは、「子ども同士のこと」「お互い様という側面もあるはず」と自分に言い聞かせていました。ですが、あまりに頻繁に起こるので、無理に登園させることをしなくなりました。
子どもは登園前になると不安定になりましたし、夜中に突然保育園に行きたくないと泣き出すこともありました。もともと感覚過敏なところがありましたが、より敏感に些細な物音に怯えるようにもなりました。その様子から、もうこれ以上無理をさせることはできないと思いました。
それから、保育園には通えなくなり、小児の心療内科にかかることになりました。ウィスクという検査やカウンセリングを受けた結果、長女は発達障害でした。とは言っても通常の発達障害とは検査結果が真逆らしく、言語能力が飛び抜けて高かったのです。漫画「リエゾン」でいうところの「でこぼこ」です。
言語能力が高い影響で、大人の話す内容も背景を踏まえて理解し行動するようです。なので保育士から見ると、規律があり理解力もある「いい子」に映ります。しかし身体的には子どもなので、思考や意思の知能が高いけれども体や行動・運動が追いつかず、乖離してしまうようです。
こうした部分が影響しているか分かりませんが、長女はヒステリーを抱えています。理解できないことや脳で処理できないことなどに遭遇すると、思考回路が働きすぎて頭の中がぐしゃぐしゃになったり真っ白になったりします。機械でいうとフリーズしたような状態に見えます。年齢に対して言語能力がオーバースペックなのでしょう。
なぜこうなるか長女に聞いてみました。すると遭遇したできごとや自分に言われたことなどを受け止めたときに、その言動やできごとの背景や相手の立場などまで考えてしまうせいのようです。子どもなりに相手の立場に立って考えることを極めると、ヒステリーに陥るのかもしれません。
長女は作業療法と診察のため、月に2、3回の通院を続けています。
一方で、加害児童は何事もなかったかのように、これまでどおり園に通っていました。毎日おやつを食べ、友だちと遊び、普段通りの生活を送っていました。その姿を思い浮かべるたびに、娘の状態との差が納得いかず、胸が締めつけられる思いがしました。苛立ちもありました。
なぜ加害児童にはペナルティがないのだろうかと。聞いた話では、海外では暴力やいじめを行った加害児童を追い出すことが多いそうです。私はそれには賛成したい。というのも、長女をいじめていた加害児童は、実は長女だけではなく、他の子にも暴力や暴言を放っていたと知ったからです。
「樽一杯のワインに一滴の泥水を入れただけで、樽一杯の泥水になる」と言った内容の言葉があります。もともとはマーフィの法則の中にあったようですが、漫画「宇宙兄弟」にも出てくるようです。
被害児童の親としてはこの気持ちです。
そうして月日が流れて卒園式がやってきました。節目であり保育園の締めくくりであり集大成です。式の席順は、生年月日の順でした。その結果、加害児童の隣りに長女が座ることになっていました。
娘に聞くと怖いから嫌だという返事です。当然です。席順を変えてもらうべく保育園側に相談した結果、生年月日を優先するとのことでした。さらに「お子さんには、少しずつでも耐える力を身につけていただけたら」という内容のことを言われました。
なぜ、傷つけられた側が“耐える力”を求められなければならないのでしょうか。なぜ、心を壊されてしまった側が、回復のために通院し、リハビリに励まなければならないのでしょうか。うちの子は、ただ毎日を普通に過ごしたかっただけなのに。
もちろん、加害児童にも何らかの事情があるのかもしれません。家庭の背景や性格的な課題があるのかもしれません。でも、それで長女の痛みが軽くなるわけではありませんし、納得できるものでもありません。
保育園側の発言からは、被害児童の長女が変わるべきという気持ちが嫌というほど伝わってきました。反対に加害児童は毎日登園して優しく成長していると。しかし卒園式の前後で、保護者同士のコミュニケーションが活発になり、加害児童は他の子にもいじめを行っていたことが保護者間でもはっきりしています。「いじめ加害者の「最近なんで(保育園に)来ないの?」には注意が必要な話」でも書きましたが、加害児童からすればターゲットはいくらでもいるのです。
保育園は「すべての子に居場所を」と考えていたのかもしれません。でもそれは「誰かが我慢すれば、みんなの居場所が守られる」という意味だったのでしょうか。長女にとっての居場所は、静かに、そして確実に、消えていきました。
今長女は小学校に通っています。少しずつ笑顔が戻ってきてはいますが、あの頃の話をすると、無表情というか無感情な表情になります。不安や恐怖の感情が、長女の内面で渦巻くらしいです。癒えていない傷が、まだそこにあるのです。
しかし先日、加害児童と遭遇する事態がありました。長女は「小学校でもいじめしてるの?」と直球で聞いたそうです。すると逆にいじめに遭っているようです。娘の印象では、いじめっ子の空気がなんとなく柔らかくて言葉遣いも優しくなったと感じたようです。被害側になったことで何か変化があったのかもしれません。
とはいえ私からすれば因果応報、ザマーミロという気持ちでした。ところが娘は違いました。
「お父さんはザマーミロっていう気持ちだけど、どう感じた?」と親の私の気持ちを開示したうえで長女の気持ちを聞きました。それなのに長女は「それでもいじめられてかわいそうだと思う。今なら仲良くなれるかもしれない」と返事しました。