長女は保育園の年長で登園できていません。「子どもがいじめに遭ったらどうなるのかという話」にも書きましたが、きっかけはいじめに遭ったからです。いじめはあくまで決定打だっただけで、以前から暴言や暴力などは受けていました。
保育園や小学校では登園・登校できていない状態を「登園しぶり」「登校しぶり」と言うそうです。今までの記事にも何度も書いてきましたが、いじめっ子がいることで娘にとって保育園が安心できる場所ではなくなっていきました。トイレ閉じ込め事件が決定打です。それでも「登園しぶり」なのです。登園していないほうが悪い印象を受ける言葉です。
さて登園できなくなっていたのは、その決定打のトイレ閉じ込め事件よりも前からです。その内容は「子どもが登園しぶり!?年長だけど気長に慣らし保育から始めよう」に書きました。保育園内では問題なくて、自宅内に問題を見出そうとしたのです。記事を書いたのは保育園の年中、つまり5歳の初夏でした。
自宅内での課題として生活習慣がありました。1歳のころから夜寝るのが遅く、大人が寝るような22時23時でした。それをやや強引に21時ごろに就寝時間を変えました。寝つけなくても布団に入るように。
結果的に親から見て変化があったのです。休み休みのうえに午前中のみの登園でしたが保育園に行っていました。だから長女の登園しぶりは生活習慣が影響していると当時は思いました。
ですがその半年後あたりでトイレ閉じ込め事件に遭います。
大人で言えば、ついさっきまでデスクの横で一緒に仕事していた同僚に、突然トイレのような狭くて暗くて不衛生なところに閉じ込められた状況です。しかも相手は複数人です。「出してくれ!」と言っても出してくれません。私ならその同僚は恐怖の対象になるでしょう。同僚だけではなく、同じ会社で働いている人をはじめ人間不信に陥るかもしれません。
トイレに閉じ込められるといういじめに遭った長女は登園できなくなりました。いろいろケアしていますが、保育園への登園は1、2か月に1度、午前中のみという感じです。
登園したときの様子を聞くと、相変わらずいじめっ子は誰かを傷つけて泣かせていました。いじめがあったときから時間が経ち、5歳から6歳になっても変わっていません。親は躾や教育をどうしているのかはわかりません。いじめっ子は相変わらずいじめっ子のままというのが事実です。
保育園はどう対応したのかというと、同じクラス全員の前でいじめの内容を話して、やってはいけないことだと伝えました。そして加害側3人だけにも念押しで話したそうです。加害親にも話したようです。それで終わりです。
加害側はその後もふつうに登園しています。被害側の長女は登園できずにいます。これは当然です。長女にとって加害者のいる保育園に行くのは、怖くて耐えられないでしょう。
長女にはPTSDやトラウマとも言えるような、さまざまな困りごとや症状があらわれています。「希死念慮のある子どもにとって心理的安全性って何だろうと考えてみた話」で触れたように、6歳の子どもが希死念慮に近いことを考えるに至っています。
また登園できないことで、いろいろな経験を積む機会や友人をつくる機会などを奪われました。親としては長女のケアが大切です。なのでその時間とお金の負担も発生します。
そしていよいよ卒園式が迫ってきました。リハーサルがあったので、その日の午前中だけなんとか長女に行ってもらいました。教室に入ると女の子に混じっていじめっ子も近づいてきました。そして第一声が「最近なんで(保育園に)来ないの?」でした。
唖然としました。そして恐怖も感じました。いじめっ子は、自分が悪いと思っていないのか、いじめたことを忘れたのかは分かりません。ただこの言葉をいじめっ子が使うときは「いじめる相手がいないから物足りない。だから(保育園に)来いよ」という本心が隠れていると私は思っています。またこちらは遠ざけたいのに、向こうから近づいてくる恐怖は大人の私でもガクブルでした。
保育園の園長は「純粋に心配しているから」だと言っていました。しかしその日午前中しか保育園にいなかった長女に話を聞くと、別の女の子が泣かされていたそうです。しばらく長女が登園していないから、いじめのターゲットが変わっただけなのだと思います。もし長女が保育園に行きつづけていたら、ずっとターゲットにされたままだったでしょう。
さて卒園式には出席しないことを決めました。理由は単純です。長女の席が、この加害児童の隣りだからです。話し合ったのですが保育園とは考え方が合わないとわかりました。このあたりの話は後日、保育園とは合わないと思ったことなどと一緒に記事にまとめます。