突然ですが「文化」は文に変化させることだと思います。つまり慣習とか趣味とかを文章で言語化できた状態になってはじめて文化に昇華されるのです。
こう考えた場合、日本の文化はとても幅広くて奥深いと思います。
例えば英語ならアルファベット26文字で構成されています。比べて日本語なら、ひらがな・カタカナ・漢字・絵文字・和製英語・ローマ字と圧倒的に多いです。ひらがなだけでも46文字、濁点など含めると71文字になり、それだけで英語の2倍以上になります。
文に変化させたときの種類が多く、幅が広いと何が違ってくるのでしょうか。
誰しも頭の中で思考するとき母国語で考えますよね。単純に考えると、英語だとその思考の幅が狭く、日本語だと幅広い領域で物事を思考することができます。だから結果的に日本には多様な文化が形成されてきたのではないかと思うのです。
少し話はそれますが、宗教や神様の存在について、英語圏では一神教なのに対して日本では八百万の神です。何にでも神様が宿っています。圧倒的に数が違いますね。
さて、しかし文部科学省の教育方針のせいなのか国語がないがしろにされている気がします。「英語習得は大事だけど国語の学習はもっと大事なんじゃないかと思うという話」に書きましたが、言語化される前のモヤモヤしたイメージだけの状態ではアウトプットはできません。モヤモヤを言語化することで何かを生み出すことができます。
この記事で言えば、モヤモヤしたものを言語化することで文化を生み出せます。
勝手ながら日本国内では、日本語より英語という風潮を感じます。でも言語化の幅広さや奥深さは日本語が圧倒しているわけです。それならば日本語で文化を生み出したほうが、より広く文化を共有できたり他の文化を取り込んだりできるのではないでしょうか。
日本語の読解力や語彙力などの低下が実際にあるのか分かりません。ただ最近新しい文化が日本から生まれたなという印象が薄いです。文化があれば生活がより豊かになると思っています。また文化によって一定の規律が生まれるので、安心感のある社会形成にも役立つのではないでしょうか。
Midjourneyをはじめてから国語力を高める重要性を感じます。「AIが進化するほど頭の中のイメージを言語化する国語や語彙力が重要になるのではないかと思う話」にあるように、何かを作ろう生み出そうとする「動機」や「理由」、「伝える」といったコミュニケーションに関わる部分に影響を与えるものだと思います。
こうして考えてくると、日本語で思考して日本語を扱うことに対して自覚的に自信を持つようになってきました。以前までは英語のほうがかっこいいし世界的に広まっていて分かりやすく優れていると思っていました。
でも今では日本語だからこそ、英語では生み出せない幅広くて奥深い文化的な物事を考えて生み出せるのだと思います。文部科学省ももっと国語に力を入れていいのではないかと思いました。
ただ英語がいらないわけではありません。実際にMidjourneyでも英語でプロンプトを作成します。プログラミングも英語です。
これは優先度の問題です。まずは国語力を高めて思考の幅や奥行きをつくってから、英語をマスターするのがいいのだと思います。日本語によって言語化することが最重要で、英語はその次でいいと思います。
今の時代、同時通訳のデバイスはいくらでもありますし。今後さらに言語の違いのハードルは低くなっていくでしょう。だからこそ日本語がどれだけ扱えるかが、新しい文化を生み出すのに重要になるのではないかと思います。