娘は保育園に在籍していたときいじめを受けていました。今までは年長になってからいじめられていたのかと思っていました。しかし最近知ったのは、年中のときからずっと被害を受けていたそうです。毎日のように叩かれたり蹴られたり暴言を吐かれたりしていたそうです。
登園をしぶり、嫌がっていたことを振り返ると納得です。
にもかかわらず、私は毎日保育園に行くように促し登園させていました。今思うと本当に怖いし嫌だっただろうなと思います。娘にとっては私も加害者のひとりと言ってもいいでしょう。申し訳ないことをしました。
今では「登園しぶり」「登校しぶり」という言葉自体が嫌いで、疑うようになりました。「しぶる」というのは登園・登校しない子どもが悪いという意味を暗に示しているように感じます。つまり被害者側が悪いということです。
でも加害者が一日中同じ空間にいるのに登園するなんて、恐怖・不安以外に何があるのでしょうか。
しかも卒園間近になって、いじめっ子は娘だけではなく、ほかの子にも嫌がらせやいじめをしていたことを知りました。
- 女の子がトイレ中にスリッパをドア下から滑り込ませてきた
- 次に上から投げ込まれた。しかも2回
- 自分よりもおとなしい男の子のズボンとパンツを下げようとしていた
- 文字では書きたくない暴言を女の子に浴びせていた
書き出すとキリがありません。私の知り得た限りの内容なので、知らないいじめも数多くあったでしょう。文章にさえしたくない悪質なこともありました。
それでも加害者は、反省している様子を見せればお咎めなしです。賢い子ども、先生の言うことが理解できる子、他人の痛みがわかる子だと保育園から判断されていました。
反対に被害者は心身に傷を負い、それを乗り越える努力を強いられます。当然のことながら時間がかかります。もちろん反省を装った加害者がいる教室には通えません。
すると保育園側からは、なんで登園しないのか不思議がられました。挙句の果てには、被害を受けた娘のほうこそ耐えることを覚えるべきだという話に変化していきました。そのあたりは「加害児童側にペナルティはなく、被害児童側がトラウマを抱えてリハビリに励んでいるのに、保育園からは耐えることを覚えるように言われた親の気持ちの話」に書きました。
子どものいじめ問題は扱いが難しいと思います。それでも明らかに加害者だとわかっていて、被害者から訴えがあるにもかかわらず、被害者が守られない仕組みや慣習が日本にはあります。被害者の親としては納得がいきません。この仕組みを変えていけたらいいなと思います。