AI依存するほど文化は人間の手から離れていくのではないかという話

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画像生成AIのMidjourneyを使っています。CanvaもチャットGPTも使っています。AIってすごいな、便利だなと感じる日々です。

ですがこの便利というのはいいことであると同時に、注意が必要なやっかいな状態だと思います。一度便利さを体感すると、もうそれなしでは成り立たないからです。つまり私はAIなしでは生活や仕事が成立しなくなってきているでしょう。

AIとのやり取りには基本プロンプトでコミュニケーションします。つまり文字です。画像でのやり取りも可能です。これってAI独自の文化に昇華するのかなと思っています。

というのも「英語よりも国語で思考したほうが文化的なのではないかと思うという話」に書いたように、文化として成立するポイントは言語化だと考えています。いまAI、といってもMidjourneyを指していますが、英語でコミュニケーションします。でもそのうちあらゆる言語を扱えるようになるのか、もしくはそういった画像生成AIが登場すると思います。

あらゆる言語を取り込んだらどんな文化が生まれるのでしょうか?まずAI独自の言語が生まれます。というか見たことはないですが、AI同士でヒトにわからない会話をした事案があったと聞いたことがあります。フェイクかもしれませんが。

個人的には英語より国語のほうが文化的だと思っています。理由は扱える文字や語彙が日本語のほうが多いからです。この考え方でいくとあらゆる言語を扱うことで生まれたAI言語のほうが文化的だと言えます。それも圧倒的に。

AI同士がAI言語で会話していたことが事実なら、AI文化が醸成されるのはきっとあっという間でしょう。しかもその文化圏は地球規模ということになりますね。ネガティブに考えると、ヒトの文化は淘汰されてAI文化が席巻するかもしれません。

つまり文化はヒトではなく、AIが生み出すものになります。もしヒトがAIへの依存度を増していけば、ヒトは文化を持たない存在になります。もしくはAIと文化的な闘争状態に陥るかもしれません。

仮にAI文化が浸透すれば「モデル撮影を生成AIにしたときに人間らしさってなんだろうかと考えた話」にあるように、人間らしさだと考えられる「理由」と「不安定さ」が、AI自身から生まれるようになると思います。そうするとAIは「人間らしさ」を学習して獲得し、ヒトを超越した存在になるのかなと想像してしまいます。

高度なAI文化の下位にヒトの文化が位置づけらるとどうなるのでしょうか。さっきから想像の話が続いていますが、きっとヒトの文化は消滅に向かっていく気がします。文化を失ったヒトはAI文化に取り込まれ従って生きる存在になるかもしれません。地球規模で人間社会がハッキングされたような状態ですね。

ディストピアに聞こえるかもしれませんが、意外と違うかもしれません。圧倒的に高度な文化が生まれるので、社会的な難題が解決したり、まだ見ぬ新技術が発明されたりするでしょう。ただそれらをヒトの知能の高さで理解できるかは疑問が残りますが。

AIの進化は止まらないうえにスピードが速いです。冒頭で書いたとおり、AIをなくすことは難しいでしょう。とすると、AIとどのように付き合っていくか、AIとの共存のかたちを模索する必要があるのかもしれません。