希死念慮ってご存じですか?読んで字のごとく、死にたいと思うことです。保育園でクラスメイトに暴言を受けつづけ、いじめを受けた娘が希死念慮に近い考えを持ったことがあると打ち明けてくれました。
いじめについては「子どもがいじめに遭ったらどうなるのかという話」に詳しく書いています。そのときに心理的安全性があれば希死念慮も抱かないのではないかと思いました。
保育園での生活はコントロールできませんが、家庭ならば何かできると思います。娘は生まれつきなのか、保育園での暴言やいじめの影響なのか、自分の気持ちを押し殺すことがよくあります。
「会話に流される」というのですが、相手の期待に沿う答えが何かを必死で考えているのでしょう。少なくとも自宅では安心して自分の意見や考えを言える環境をつくりたいものです。
私は今まで一度だけ希死念慮に囚われそうになったことがあります。
27歳の独身のときです。当時勤務していた会社では終電で帰るのが当たり前でした。知らず知らずのうちに、心身ともに疲弊していました。その状態で上司によるモラルハラスメントを受けていました。さらにその会社の社長がターゲットを決めてパワーハラスメントをする特性のある人で、ターゲットだった人が辞めた後、私がターゲットにされてしまいました。
そしてうつになりました。今考えるとうつになるのは当たり前だと思います。ですが当時は上司や社長からの叱咤激励だと思い込んでいました。数日お風呂に入らないことがふつうになり、理由もなく涙が溢れそうになるのを堪えていました。
ある朝目覚めると希死念慮がフッと頭をよぎりました。怖くなってスマホも持たずに海まで電車で向かいました。その日は一日中海を眺めて波の音を聞いていました。
夜に帰宅すると会社から何度も着信がありました。平日だったので当然です。それで会社の事務職の人から近所の精神科を勧められました。2回受診して行かなくなりました。会社を辞めて、正社員から派遣になりました。まさにその日暮らしです。
派遣生活になってからしばらくして、会社の同僚の女性と会う機会がありました。その女性と話していると「そんな生き方や考え方をしてもいいんだ」と驚きの発見がありました。同時に、その生き方に対して尊敬の念を抱きました。さらにその女性への恩をも感じたのです。
数年後にその女性と結婚し、いまだにうつではありますが希死念慮が顔を出すことはありません。その女性には素直に意見や考えを言えるからだと思います。ここ最近の状態については「ストックフォトコントリビューターとして成長しているか振り返ってみた話」で少し触れています。
話は戻り、娘にとっての心理的安全性はなんでしょうか。少なくとも保育園はもう、娘にとって安心できる場ではありません。そのためほぼ登園していない状態です。
私は個人事業主であるとともに、主夫でもあります。なのでほぼ一日中一緒に自宅にいます。一緒に過ごす中で一番楽しそうにしているのは、一緒に散歩したり絵を描いたりドリルをしたりするときです。もしかすると一緒に何かをする時間を増やすことで自宅での心理的安全性が保たれるのかもしれません。もしくは同じ空間に一緒にいるだけでもいいかもしれませんし、会話量を増やすことがいいのかもしれません。
好きな映画の中に「Into the wild」という作品があります。作中で「幸福が実現するのは誰かと共有したときだ」という言葉が出てきます。1人で孤立した状態では幸せは実現しません。私も妻の存在があって幸福を感じられるのでしょう。
だからこれまで仕事や家事を優先しがちだったのをやめて、娘と一緒に何かをする時間を増やそうと思います。娘と一緒に過ごして、さまざまな物事を共有してみようと思います。それが娘にとって心理的安全性につながることを願って。