自他境界が薄い子どもこそ心理的安全性を与えて会話することが大切だという話

Essay

「自他境界」という言葉を最近知りました。

これは自分と他人の境界線があいまいだったりなかったりすることのようです。境界線がないとどんな困りごとが起こるのでしょうか?

  • 自分と他人の境界線がないので、他人に身に起こったことや感情などが自分のこととして受け取ってしまいます。
  • 境界線がないので、他人とゼロ距離の関係性になりやすく、衝突しやすかったり依存しやすかったりします。
  • 自分の見聞きしたことなどは他人も同じように経験していると思いやすく、何事も共感したり理解してくれたりすると勘違いしやすいです。
  • 他人という概念が希薄なので、価値観や信条なども自分と同じだと思い込みやすいです。そのため他人に合わせるのではなくて、自分を押し付けるような状況に陥りがちです。
  • 逆に、同一視した結果自分がなくなり、他人中心の言動や思考をする場合もあります。
  • 他人中心なので、嫌なことをイヤだと言えません。いつも相手に合わせた言動になります。

ググってみると「迎合」「回避」「支配」の3タイプに分けて解説しているウェブページもありました。とにかく境界線がないのは生きづらいことがわかります。

私は2児の父をやっていますが、つい先日病院のカウンセラーに検査してもらいました。いくつかの特性がある中で、この自他境界が希薄だと判明しました。

この結果を踏まえて日々観察していると、境界がないことが原因かな?と思うことがしばしばあります。

特に思うのは依存です。

自分の中心に自己を置かずに他人を置いているように見えます。だから他人に迎合し、他人の期待する言動に努め、他人に見放されたり怒られたりしないように生活します。

気が休まるときが極端に少ないので疲れやすく、また疲労感が抜けることはなさそうです。つまり安心感を得づらいのだと思います。不安を感じる場面が多いのです。

別記事の「子どもが登園しぶり!?年長だけど気長に慣らし保育から始めよう」では生活習慣が原因かと思っていました。生活習慣の重要性はわかりつつも、自他境界が問題でもあると今は思っています。

子どもは保育園に通っていますが、ときには先生に注意されることもあります。とはいえ感情的に怒られるわけではなく、保育園の方針で静かに説明を受けるような感じです。保育園の先生は園児に恐れを抱かせるような言動はしないようにしているそうです。

それにもかかわらず、子どもは注意を受けるとパニックを起こして頭の中が真っ白になります。自分の意見を言おうとしても思考がぐちゃぐちゃでまとまらず、何も言えなかったり相手の期待することを言ったりします。

保育園で何か注意を受けたとき、自宅でもなかなか話そうとしません。子ども本人としては、保育園の先生に注意を受けたことを親に話すことで、親に怒られたり見放されたりする不安があるようです。

自宅で聞き出すときは何度も何度も何度も「怒らないよ」「口外しないよ」と約束します。それでようやく少しずつ話し始めてくれます。でも話している最中も、親の機嫌がどうかうかがうように、確かめるように話を進めます。

「心理的安全性」という言葉がありますが、子どもにとっては非常に大切な環境づくりの指針だなと思いました。心理的安全性については別の記事でまとめたいと思います。

ところで子どものこうした自他境界の希薄さが私に似ているなと思うこの頃です。私も断ることができなかったり期待に沿う言動が多かったりします。

うつ状態でもマネージャー昇格を期待されつつ退職したけど今思えば会社と交渉すればよかったかもという話」で、私は条件付きならマネージャーを引き受けるという交渉をしていました。これは「イヤです」「できません」と断れないからこその対応です。

断ることなく、条件付きで了承したり受け入れたりする、こうした術を子どもにも身につけさせていきたいものです。

それにしても自他境界が希薄で、ASDで、うつを患っている私は、とても脆い自己の持ち主だなとつくづく思います。生きづらい性格で生まれたなと思います。

それを子どもに遺伝させてしまったのかと思うと、生きづらさを少しでも解消する術を与えていこうと思います。